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溝口和洋の幻の世界記録の内容がエグい!引退理由についても調査

2018/11/18
 







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11月18日に放送される「消えた天才」で取り上げられる溝口和洋さんについてご紹介します。

 

 

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、やり投げ界で伝説を残した方ですね。

 

 

しかし1992年のバルセロナ五輪を前にして突然の現役引退をして表舞台から姿を消しています。

 

ここではそんな溝口和洋さんのプロフィール1989年で起きた事件について電撃引退した理由について調べましたのでご紹介していきます。

 

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溝口和洋のちょっとしたプロフィール

 

生年月日 1962年5月4日(56歳)
出身地 和歌山県西牟婁郡白浜町
身長 / 体重 180cm / 88kg
経歴 熊野高校→京都産業大学→ゴールドウィン

 

やり投げ選手として有名ですが子供の頃からやり投げをやりたいと思っていたわけではなく、中学生の時は柔道部に入ろうとしていました。
しかし当時の中学の柔道部で部員の死亡事故が起きたため、廃部になってしまいました。

 

 

やり投げに関してはテレビでやっていたNHKの番組「やり投げ教室」をたまたま見て「簡単そうだな」と思い気軽な気持ちでやり始めたのがきっかけでした。

中学時代に入りたかった柔道部が廃部になっていたため、その時は帰宅部でした。

 

 

高校生から陸上部に入部してここから本格的に練習を始めるのですが当時の熊野高校の練習グラウンドには野球・ラグビー・ソフトボール部が入り乱れており、また陸上の顧問先生も長距離専門だっため、やり投げの練習は週一程度しかできませんでした。

 

 

それでも天性的な遠投能力の高さやり投げと向き合うまっすぐな姿勢ハマったものにはとことん追求していく性格負けず嫌いな性格などのおかげで
三年時のインターハイでは59m68で6位、国体では60m72で2位となっています。

 

 

その後、京都産業大学時代4年時のロサンゼルスオリンピックでは74m82で予選20位。

1986年のソウルアジア大会では76m60で優勝、金メダルを獲得。

1987年8月30日の世界陸上ローマ大会では80m24で6位入賞。

1988年ソウルオリンピックでは77m46で予選19位。

 

 

数々の記録を樹立させてきましたが、現役引退後は実家の農業を継いでいます。
主に花を栽培して出荷・販売しています。
出荷・販売している花の中でも溝口さんがお気に入りなのが「トルコキキョウ」という花らしいですよ。

出典:はなどんや

 

綺麗な花ですよねー`‐ω‐´)
聞いたことのない花だったので、世界には色々な花の種類があるんだなーと勉強になりました。

 

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1989年のワールドグランプリで起きた事件について

 

この年に溝口さんが日本人初となるワールドグランプリシリーズに出場しました。
他の大会にはない「賞金の出る」シリーズです。

 

 

この大会で溝口さんは世界記録となる87.86mを叩き出しました。
当時の世界記録が87.66mだったので記録を2cm上回りました。

 

 

新記録ということで盛り上がりましたが、その後、なぜか計測員による再計測が行われ
記録が87.60mに修正されました。

 

 

これに対して溝口さんのコーチが猛抗議!
しかし計測員は抗議に取り合わずに87.60mとして記録されることとなりました。

 

 

なぜ再計測が行われ、記録が修正されたのか。

 

 

結局細かい理由に関しては明らかになっていませんが、
溝口さんについて書かれた書籍「一投に賭ける」では
計測員が再計測の際に槍の着地点をわざとズラしたのだろうと説明されていました。

 

 

世界記録を樹立したのが日本人ということが気に入らなかったのでしょう。
舞台はアメリカのサンノゼという場所で行われていたのですが、
計測員は当然アメリカ人なのできっと面白くなかったのでしょう。

 

 

っというか、なぜ再計測する必要があったのか。

 

 

これも書籍によると、世界記録が出たと言うことで本当かどうかもう一度測り直そうとしたんでしょう。

 

 

日本人選手のような背も低いし体格も大きくない選手が世界記録を更新することなんか有り得ないと思い込んでいたんだと思います。

 

 

このようなアンフェア的な行為を目の当たりにした溝口さんでしたが、
本人はほとんど抗議はせずに
「また新たな大会で記録を出せば良い」

と前向きに捉えたと言うことです。

 

 

紳士でかっこいいですよねー(´-ω-`)♪

 

 

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溝口和洋の引退理由について

 

溝口さんは1989年サンノゼの事件以来の成績を見て見てください。

 

出典:wiki

 

1990年のアジア競技大会まではよかったのですが、
1991年以降は記録も伸び悩んでいますし、1995年の世界陸上選手権大会以降は大きな大会に出場されていません。

 

 

世間では成績が下降した「1990年以降突然姿を消した」と認識されている感じですが、なぜそのような事態になってしまったのでしょうか。

 

 

これは怪我が原因でした。

 

 

1989年のシーズンオフに気分転換にスキーをやったそうですが、
そこで軽く右膝を痛めてしまいました。
初めての体験で緊張し、体に力が入ったままスキーをしたため痛めたそうです。

 

 

しかしこの右膝の負傷がやり投げで致命的となりました。

 

 

やり投げは投げの中で、フィニッシュの時、一瞬だけ右足一本で支えて踏ん張り蹴りださなくてはいけないのですが、それができなくなってしまいました。
さらにこれまでも無茶なトレーニングをしてきたせいで、身体が悲鳴をあげていました。
右足に力が入らず、踏ん張りきれない状態になってしまいました。

 

 

これにとどまらず、
さらにある日の投擲練習時に右肩が「バキッ!!」と鳴ってしまいました。

 

右肩の靭帯損傷。

 

 

年齢も重なっていたし、これまでの無茶なトレーニングについに身体が壊れ始めました。
靭帯損傷という大きな怪我を負ったことにより身体の他の部位もどんどん壊れ始めました。

 

  • 右肩靭帯損傷
  • 右膝半月板靭帯損傷
  • 背筋右上部左下部の筋断裂
  • 左足前脛骨筋筋断裂
  • 脊椎腰椎分離すべり症五ヶ所

 

ここまで損傷しているにも関わらず1991年の世界選手権では73mも投げることができたのはすごいと思いますね。

 

 

しかし溝口さん自身はもう自分のこのボロボロな身体で1992年のバルセロナ五輪には出場できないということでオリンピックに関してはもう断念しています。

 

 

このことが世間に知られなかったのは溝口さんが自身の怪我に関して世間の人たちにペラペラと喋る事を拒んだからです。

 

 

だから世間では1990年以降は姿を消したとされているわけですね。

そして1994年に行われた日本グランプリが地元の京都で開催されるという事で、
この大会を最後として出場し、75mほどの記録で2位となりました。

そして1996年、自身が34歳の時に現役引退をしています。

 

 

バルセロナ五輪の前に現役引退と書きましたが実は96年までは現役を続けていました。
しかし怪我と向き合う日々が続き、大きな大会にもそんなに出ていなかったため、
ずっと誤った情報が先行していたんですね。

 

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まとめ

 

いかがだったでしょうか。

 

やはりスポーツ選手が表舞台から姿を消すのは「怪我」が理由というのが多いですね。

世界的に有名になるにはそれだけ過酷なトレーニングを続けて身体をいじめ続けなければなりません。

それを改めて分からせてくれるような溝口さんのやり投げ人生でした。

 

その他にも・・・
当サイトでは「消えた天才」で取り上げられた方の記事をいくつか紹介しています。

 

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